人生は自分が決める

このブログを訪れてくれた皆様が幸せに過ごせるように願って綴っていきたいと思います

あらゆる罪の中で怠りの罪が一番重い


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ぼ~っとして何もしない、

 

恐れて何もしない、

 

考えて考えて何もしない、

 

高いレベルの目標を持って一生懸命やるということをしない、

 

これらが一番問題なのです。

 

それが、怠りの罪ですよ。

 

あらゆる罪の中で、怠りの罪が一番重いんですよ。

 

魂を進歩向上するために生まれてきているわけですから、怠けというのは進歩向上していないわけですから、生まれてきた意義と意味に一番合わないわけです。

 

怠りの反対は、やり過ぎの傲慢、増長慢などがありますが、神様から見たら怠りの罪がもっとも深いのです。

 

理由は簡単です。

 

油断したり、怠ってばかりいたら何一つ魂に記憶が残らないからです。

 

 

それにたいして、傲慢や増長慢も神仏が戒めるところではありますが、人間わけもなく傲慢になったり、増長慢になったりはしないのです。

 

中には何の根拠もないのにやたらと尊大な態度を取る人もいるにはいるが、自信の裏付けとなる何らかの実績があるときに天狗の鼻が高くなるのが普通で、その実績を積むまでの苦労と努力は魂の記憶に残る。

それが尊いのである。

 

なぜなら、たとえ一時的に増長慢になったとしても、反省して姿勢を正せば、その記憶が180度転換されて、世のため人のために役立つようになるからである。

 

要するに、増長慢や傲慢というのはちょっと方向性がずれているだけで、基本的には大きな誤りではない。

 

ちょっと傲慢になってきたな、慢心が働いているなと思ったら、傲慢にならないようにと心を調節していけばいいのだ。

 

その調節はどのようにやるかというと、これはもう謙虚の徳を磨くしかない。

 

増長慢、傲慢は褒められたことではない。

 

だが、反省すれば、それまで積み上げてきた実績、悟りといったものが180度転換されて、世のため人のために役立てられるのだ。

 

褒められたことではないけれど、それほど悲観するものでもない。

 

ところが、怠りがあって、何をするのも面倒くさいという心を持っている人が反省した場合、何が魂の記憶に残るかというと、全くのゼロ。何も残っていない。

 

だから、怠け者や無精者が何らかのきっかけで反省して、

「私は、これから一生懸命勉強する!」

と志を立てたとしても、一から始めるしかない。

 

それまでの人生はすべてムダになってしまうのだ。

 

だから、遊惰安逸に流されて、怠りと油断の日々を過ごすのは、神霊的にも現実的にも最も重い罪なのです。

 

ちなみに、この怠りの罪の極致が自殺なのです。

 

借金苦で生きていくのがつらい、身内を失い生きていても楽しくない、病気でこんなにつらい思いをするくらいなら、いっそ死んでしまいたい・・・。

 

自殺する人にはそれぞれ理由と事情があるのでしょうが、要するに、苦しみを越えていくのが面倒くさいから自殺するわけです。

 

だから、怠りの罪の極致は自殺なのであって、逆に言うと、怠っている人は毎日毎日、自殺行為を繰り返しているようなものと言うことができます。

 

とにもかくにも、面倒くさいという心を捨て去ること。

 

これがすべての始まりであるということをしっかりと確認したいですね。