人生は自分が決める

このブログを訪れてくれた皆様が幸せに過ごせるように願って綴っていきたいと思います

試練とは貫く心が試されること


f:id:dousuruka:20180720200805j:image

昨日の記事の続きになります。

 

www.dousurukakimeru.com

 

ところで、誠の生きざまとは、他人のためにやるのではありません。

 

世間のためでもなければ、神社のためにやるのでもなく、それは神様とおのれの魂の勝負なのです。

 

どんなにやりにくい人がいても、どんなに気に入らないやり方をされたとしても、環境が最悪であっても、おのれがどういう足跡を残すのか。

 

それを神様が見ているわけだから、神様とおのれの魂との勝負、神試しなのです。

 

神試しだから当然、揺さぶりがあります。

 

その揺さぶりとは、経営者を例に出して具体的にいえば、資金の逼迫だとか、売上の低下だとか、あるいは極端な場合は倒産だとかいった、いろいろな試練なのです。

 

揺さぶりがなければ誰でも立派な足跡を残せます。

 

でも、人から中傷されたり、誤解されたり、あるいは貧しかったり豊かすぎたりするとどうしても、ぐらついてしまいます。

 

そういう中にあっても、いかに誠を貫いて立派な足跡を残す己れをつくっていくのか。

 

そのために揺さぶりがあるわけです。

 

揺さぶられても動じぬ己れをつくるよう、神が試しているのです。

 

 

誰にでも揺さぶりがあります。

 

その揺さぶりの中でどの程度、誠を貫いたのか、誠で生き貫いたのか。

 

これが、神試しなのです。

 

だから、どんな試練や難局につきあたっても、いつもこれが神試しであり、神様との勝負であることを忘れないことです。

 

そして、くじけずに、天地神明に恥じない行い、天地神明に恥じない足跡を自分たちなりに残していけばいいのです。

 

これを死ぬまで貫き、おのれの中身をますます立派に磨いていくのです。

 

これが修行というものの眼目です。

 

人が問題ではありません。

 

環境が問題ではありません。

 

人のためにやるのではありません。

 

従業員のためにやるのでもありません。

 

すべては、神様とおのれの勝負なのです。

 

人のためにやっていると思うと長続きしません。

 

従業員のために誠を貫くんだなんて思ってやっていると、従業員が離れていったり、裏切ったりすると、虚しくなってしまう。

 

組織のためにとやっていると、組織がバラバラになったら虚しくなってしまう。

 

そんなことのためにと思ってやっていたら、平常心を失い、足跡が残せません。

 

だから、神様とおのれの魂、それしか考えないのです。

 

会社、従業員、取引先は、それを磨くための教材にしかすぎないのです。

 

すべての環境はおのれの魂、おのれの誠を磨く媒介にすぎないのです。

 

そうやって、いついかなる時でも誠を貫き通せるおのれが出来上がったら、天は絶対に裏切ることはありません。

 

全部受けて下さって、必ず成果として現して下さいます。

 

これはもう、絶対に間違いないです。

 

私は、100%、いや1億%、10億%確信しています。

 

数えきれないほど体験させられているからです。

 

この原点に返っていたら何の疑問もないはずです。

 

わだかまりなんかないはずです。

 

 

誠という抽象的な言葉ではありますが、この誠を貫き通して、神も人も認めるような立派な足跡を残していく。

 

そこにすべての成功の秘訣が隠されているのです。