人生は自分が決める

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ぐずぐずより天狗のほうがマシ


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「天狗」になると、傲慢になり、人の意見を聞かなくなります。

自分が最高だと思っている、強気の固まりのようなものですが、実は世間を知らないだけなのです。

 

山に例えれば、頂上に坐すのが神様だとすると、天狗はせいぜい七合目ぐらい。

 

それでも、俺は最高だと威張っているから、誰も忠告してくれないのです。

 

つまり、知恵がないのです。

 

知恵がなく愚かなのです。

 

だから、天狗は「天愚」なのです。

 

 

では、天狗は絶対的にダメなのか、絶対的に悪なのかというと、必ずしもそうとは限らないのです。

 

天狗になると、霊的にも社会的にも頭打ち状態になって、それ以上、進歩向上が望めないのは間違いありません。

 

しかし、志も立てられないような弱々しくて卑屈な人間が、「天狗になったらどうしよう」なんて心配しているとしたら、まるで笑い話です。

 

天狗になるのを心配するのは、とりあえず弱気を克服してからのことです。

 

それまでは、たとえ天狗になってもいい、というくらいの気持ちで、魂の中に真柱を立てることです。

 

少々天狗になったところで、たいした問題ではないのですから。

 

というのも、天狗になってあるレベルまで上がっていっても、必ず頭打ちになるからです。

 

どんなに頑張っても、もはやそれ以上は伸びません。

 

その時に、

「ああ、おれは天狗になっていたんだな」

 

と反省し、謙虚な姿勢に立ち返って、さらに努力していけばいいだけのことなのです。

 

だから、弱気で卑屈で志も立てられないよりも、少しばかり天狗になっても、強くたくましく雄々しくしているほうがいいのです。

 

そもそも、ゆえなくして天狗になる人はいません。

 

何の根拠もないのに自信満々、鼻高々という人もいるにはいるが、それは例外として、たいてい何らかの理由があるものです。

 

セールスでトップの成績を残したとか、テストで一番になったとか、その人の人生の足跡をたどれば、必ず天狗になるだけの理由があるのですが、セールスにしろ勉学にしろ、トップに立つのにはトップに立つだけの努力と精進があったはずです。

 

その努力と精進は、その人だけの宝であり、今後、何かを修得するときの大きな武器になるのです。

 

それに対して、弱気で謙虚で、思いきってやれない人というのは、何の体験も残りません。

 

反省ばかりしていても、社会での経験、実績、知識、実力がついていないから、いくら謙虚であっても世の中の役に立たないのです。

 

だから、神様も、少々天狗になろうとも大目に見てくれて、その代わり、あるところまで来たら、にっちもさっちも行かなくさせ、自らを反省するように仕組んでくださるのです。

 

たとえば、小中学校時代に劣等生だった人が、一念発起して人もうらやむような優秀な高校に入り、

 

「おれはこんなに勉強ができるんだ」

 

と天狗になったとします。

 

こういうとき神様は、大学受験に失敗させて大恥かかせることで、天狗の鼻をへし折ったりするのです。

 

あるいは、おれは優秀な大学を出たんだと自信満々で社会に出たら、あっちからもこっちからも叩かれて失敗するとか。

 

なぜ、そんなふうに鼻をへし折るのかと言うと、その人間が憎いからではありません。

 

一度、へし折っておかないと、それ以上登れないからなのです。