入りが多くても、出が多ければ満足しない
不満足をお金で解決できると思っている不満足脳は、稼いだだけのお金を全部使ってしまう。しかし、この世にあるすべての物が買えるわけではないから、不満が解消することはない。
したがって、常に不足感がつきまとう。
入りが多くても、このように出が多ければ満足できないのである。
常に不満足な貧乏脳は、お金を稼いでそれを使って満足したいという脳だから、永遠に満足できる日はこないであろう。
彼らは稼いでも稼いでも足りないというのである。
さて、このやっかいな貧乏脳は、不満足を金で埋められるという誤った幻想を埋め込まれてしまっているのです。
消費経済を活性化させるために、広告代理店がさまざまな罠を仕掛けてくる。
需要を喚起し、人々の不満足を煽って、不満足脳へと洗脳していくのである。
我々は、不満足を解決するのは金であるということを洗脳されて大人になった。
子どもの頃、どれだけ「○○ちゃんも△△ちゃんも持っている。だから僕も欲しい」という言葉を、親にいっては欲しい物を手に入れてきたことか。そして、どれだけ子どもに同じことを言われては買い与えてきたことか。
しかも、その結果、満足をしただろうか。
あれが手に入れば、今度はこれ、次はあれと、大部分の人間が、不満足な日々を送ってきたに違いないのである。
こうした不満足状態は、今でも続いているであろう。戦後まもなくから、三種の神器という言葉が聞かれるようになったが、時代とともに、三種の神器は変わっていたことでもそれがわかるというものだ。
三種の神器は、人々の不満足を煽るためにつくられたものであり、次々と新たな三種の神器をつくることで、人々の欲求を際限もなく大きくしていったのである。
結果として、貧乏脳が成長していった。人間は稼いでも稼いでも足りないと思うようになった。
たとえば、ここに、年収1億円という人がいたとしよう。
平均年収に比べればとてつもない大金だが、使おうと思えば使ってしまえる金額でもある。
まず、年収が1億円ならば、その半分は税金などでなくなるから、残りは約5000万円、月収にすれば、500万円足らずである。
高級マンションに住み、高級レストランに日参し、銀座のバーで、ホステスの言うがままに高い酒を飲んでいれば、簡単に使ってしまえるだろう。
彼は、そんな自分を貧しいと考える。なぜならば、上には上があって、さらなる金持ちが持っているヘリコプターやヨットを買うことはできないからである。
中古品をローンで買えば買えないことはないが、人件費や維持費を考えれば、とても無理な話になる。
そんな自分に不満足な彼らは、自分を貧乏な人間と感じるのである。
一方、低収入でも、自分を貧乏とは思わない金持ち脳がある。
金持ち脳は、贅沢三昧とは縁遠くても、贅沢をお金で買おうと思っていないから貧乏ではないのである。
もちろん、金融機関は、その人間の資産によって、顧客を区別していく。
銀行にとっての金持ちは、金額で定義されるわけだ。あるいは、その社会的な地位によっても区別する。
しかし、自分が金持ちかどうかを判断するのは自分自身なのである。