人生は自分が決める

このブログを訪れてくれた皆様が幸せに過ごせるように願って綴っていきたいと思います

善因善果、悪因悪果の法則


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すべては心の持ち方から始まる

世の中の森羅万象はすべて、原因があって結果が生じてきます。

 

無計画な森林伐採は洪水を引き起こし、利便さを優先して公害を撒き散らせば、人類の健康を害するという、不幸な結果を招いてしまいます。

 

人間個人の一生も同じことがいえるのです。

 

人の一生には、「幸せ」のときも「不幸」のときも必ずあるのですが、「幸せ」のときは、一歩たちどまって「なぜ、私はこんなに幸せなのだろうか?」と「原因」を考える習慣をつけたほうがよいのです。

 

あなたは、現在の「幸せ」を与えられるにふさわしい「善行」を知らないうちにしていたのに、相違ないのですから。

 

それは「無償の奉仕」かもしれませんし、「心清き生活」かもしれません。

 

あるいは、「他人の幸せを心から喜んだ」ことかもしれないのです。

 

 

次々に、善意の考えが浮かび、実行できる人は、いつまでも「幸せ」が続いていきます。

反対に「幸せ」が長続きしない人は、次のような「考え」をする人だといえます。

 

「幸運」のときに、「私の努力と才能は素晴らしい」と考えて他人を見下す人。

 

「私は、他人よりも優れている」と「増長」してしまう人。

 

現在十分幸せなのに足ることを知らない欲望に身を焦がす人。

 

「反省」「感謝」「報恩」の心を忘れた人。

 

こういう人たちは、たとえ「態度」や「言葉」に表さなくても、こころの中に思うという「思考」だけで、将来の「悪果」をつくることになりますから注意してください。

 

世の中には、思考の力で、相手の不幸を祈るような呪術も行われていますが、よしんば「相手を不幸のどん底に突き落とす」ことができたとしても結局は、悪因悪果の法則が働き、自分自身に跳ね返ってくることを知らなければなりません。

 

一見、自分の責任ではないと思われる「不幸」な出来事も、必ず自分自身の「思考」に「原因」があると考えたほうがよいのです。

 

「なぜ理不尽に、いじめられるのか?」

いじめられっ子は考えてみましょう。

いじめられる「原因」も「解決法」も自分自身の心の中にあるのですから…

 

親に甘え、感謝の心を忘れ、わがままを家庭で通していなかったか?

 

自分は何をしてもダメな人間だと、自己嫌悪の虜になっていなかったか?

 

他人に良く思われたいと考えて、いつもオドオドしていなかったか?

 

いじめられる原因は、人さまざまでしょうが自分自身の「心」にたずねれば、このようにいくらでも「原因」がみつかるはずなのです。

 

しかし、本当は「いじめっ子」のほうにも相応の苦難が将来、待ち構えているのですから世の中は公平にできているのです。

 

いじめっ子は、現在自分自身で「不幸」の種を蒔いているのですから、将来、刈り取らされる覚悟をするか、今すぐ「心」を修正して弱いものイジメをやめなければならないのです。

 

「投資」で失敗した人も、証券会社や株の先生、ゴルフ場経営者などに憎悪を燃やして責任転嫁するまえに、自分自身の心に悪因の種を蒔かなかったか?を謙虚にたずねてみましょう。

 

「不労所得」に目が眩んで、本業をおろそかにしていなかったか?

 

額に汗して働く他人を心の中でバカにしていなかったか?

 

儲かったときに有頂天になって、足ることを忘れてもっと儲けたいと欲を出さなかったか?

 

今やらなければ儲けそこなうとばかりに、焦らなかったか?

 

 

「嫁姑問題」や「人間関係」でお悩みのあなたも、ウソのつけない自分自身の良心に優しく、たずねてみましょう。

 

自分さえ我慢すれば八方丸くおさまると考えて、表面を取り繕っているものの心のなかはいつも欲求不満でイライラしていないだろうか?

 

相手のことを妬んだり、そねんだり、ひがんだりしていないだろうか?

 

口ではうまいことをいっていても、心の中で相手をけなし、不幸を祈っていないだろうか?

他人と自分を見比べて、優越感を持ったり、逆に自己卑下をしていないだろうか?

自分だけが正しいと考え、相手の意見を聞かず見下したような態度を取っていないだろうか?

 

「大病で苦しんでいる人」も嘆かずに、静かに「良心」にたずねてみましょう。

 

暴飲暴食、酒、煙草に溺れ「不規則」な生活をしていなかったか?

 意地を張って人の意見を聞かなかったことはなかったか?

自己中心的な人生ではなかったか?

財産や金に執着して他人様を泣かせたことはなかったか?

触れ合う人々に感謝の心があっただろうか?

いつも他人に責任転嫁して、逃げてばかりの人生ではなかったか?

 

このように「大病」も「損失」も「人間関係の悩み」も、ほとんどの悩み事は、自分自身の蒔いた「悪因」から発芽した「悪果」を刈り取っているのにすぎないのですから、嘆く必要はないのです。

 

「悪因」の種を蒔くことをやめて、「善因」の種を新たに蒔き始めれば必然的に「善果」が芽生えてくることに、一刻も早く気づいていただきたいと思うのです。

 

「家族縁」の薄い人、「貧乏な家庭」に生まれた人もいますが、嘆かずに、「悟りやすい環境」を自分が、希望して生まれてきたのだと、理解したほうがよいでしょう。

原因が「今世」に求められない現象は、「前世」の業の修正にあるのでしょうから…。