神はわたしたちの求めるものよりも、更にすばらしいものを用意しておられる時は、祈りを聞いてくださらないこともある
このタイトルの言葉は、三浦綾子さんの北国日記に書かれていたものです。
三浦綾子さんは敬虔なクリスチャンで、キリスト教をベースにした小説を沢山書かれています。
この本の中で、
わたしたちは病気よりも健康のほうがよいと思う。
貧しさよりも金持ちになることがよいと思う。
だが、神は、人間には病気の時があってよいと思い、貧しい時があってよいと見られるのかも知れない。
そしてそのような神の計らいが、わたしたち人間にとって最もすばらしいことになるのかも知れない。
と書いてあるのです。
私も祈りの大切さをずっとこのブログでも伝えてきています。
なかなか祈っても自分の思ったように叶わなかったり、本当に神様は聞いて下さっているんだろうかと思う時もあるかもしれません。
それでも、祈りは続けてほしいです。
本当に、神様は人智を越えた存在なのです。
タイトルの言葉どおり、
神はわたしたちの求めるものよりも、更にすばらしいものを用意しておられる時は、祈りを聞いてくださらないこともある
のです。
思うようにならない時、わたしたちの思った以上のすばらしい出来事を与えて下さるのです。
将棋でも、上段者になるほど、どうしてそこに打った?!っていう一手を打つことがありますよね。
普通の人にはわからない、理解できない一手でも、上段者にとっては先の先まで見据えた一手だったりするんですよね。
そして、それが勝利につながる一手だったりするのです。
神様も先々を見据えて、わたしたちが絶対に幸せになるように導いてくださいます。
祈っても、状況が余計に悪くなったように感じても、なんの変化もないように感じても、絶対に神様は善なる方向に導いてくださっているはずなんです。
このことを信じきるのが信仰の大切さなのです。