人間、どう転んでも幸せなんです。
例えば、神様のおかげで本当の運が開いて、いい人と結婚でき、子供もいい子で、
「ああ、こんな幸せを神様にいただいてありがたいな。」というのも幸せ。
逆に、仕事がうまくいかず、結婚にも失敗して体も壊したという場合。
それもまた高貴な霊格となって本当の神と交流するために必要な絶対的孤独なのです。
宗教的人格を完成させるために、神様が与えてくれた試練だと受け止めることができるのです。
そうすれば、やっぱり、
「ああ、こんな幸せを神様にいただいてありがたいな。」
ということになるのです。
もしかしたら、単に邪霊が邪魔していただけかもしれません。
あるいは、前世の業のせいで苦しんだだけなのかもしれません。
しかし、そういったレベルに自分の意識を持っていっては、苦を苦としか受け取れなくなってしまいます。
だから無理やりでも、こじつけでもいいから、自分の境遇を神の恵みと受け止めるのです。
そうすれば乗り切ることができるのです。